駆け出し顧問の練習日記

中学野球部員の生き生きした日常を一般公開します。私の監督としてのスキルアップも目指しています。

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一番最初にテレビで野球を見た思い出といえば、
1985年の夏の甲子園でPL対宇部商業の
決勝戦を見たことである。 いとこが宇部商の
応援団で、テレビに映るかどうかどきどきしながら
見ていた。 このときの清原のホームランと
桑田の力投は未だに鮮明に脳裏に焼きついている。
私が野球をテレビで見る面白さを知るきっかけになり、
自分も本格的に野球をやってみたいと思ったのも
この試合を見てからであろう。

それから親父といっしょに食事のあとナイターをみる
ことが日課になっていった。 むしろ親父がいなくても
ナイターを見ていた。 実家は三重県なので当然中日と
巨人の試合ばかりやっていたが、三重テレビで阪神戦も
やっていた。 当然周りの友達は中日ファン、阪神ファンが
多かった。 自分は少数派の巨人ファンであったが、
高校野球で見た桑田が主力として活躍していたことが
大きかった。 しかし、当時の私の中で、それ以上の
スターになった男が二人いる。

巨人の4番 原 辰徳

エース   江川 卓


である。

親父の中で原の評価は「チャンスに弱い」ということが
定着していたが、自分の中では誰がなんと言おうと4番の
中の4番である。 3連敗から4連勝して日本一になった
時の、「涙の満塁ホームラン」、そしてヤクルトの伊東から
優勝争いの中放った「バット放り投げ逆転アーチ」は、
自分の中のベスト名場面である。 その後手首の故障を押して
出場を続け、挙句の果てに広島の津田に剛速球で手首を
砕かれてからはスタイルが少し変わってしまったが、
王さんの後がまという大変な地位で4番を張り続けたことは
本当にすごいことだと思う。引退試合では「原ー、まだ
やれるよー。」と泣きながらテレビを見ていた。

江川はまっすぐとカーブだけで勝負する無骨なスタイルが
好きだった。 調子の良いときは高めのストレートだけで
三振を取りまくっていた。 上原のようにアウトローの
ボールの切れで勝負するタイプではない、一歩間違えれば
一発を食らうのではないかというスリリングな打者との
勝負がそこにはあった。(気が抜けた球で一発を食らって
いた覚えが少ない) あのストレートの伸びをいつか
手に入れたいと思ったものだ。 13勝したのに引退なんて
納得いかなかったのを覚えている。 江川のピッチングは
「勝てるピッチング」というよりは「魅せるピッチング」
であったように思う。

彼らの真似をしながら自分は大きくなった。
プロ選手は「自分が真似される存在だ」ということを
忘れないでほしい。 いつどこで、プロ選手である
あなたを目標に、小学生が野球を始めるのか分からない
のだから。 

自分の野球人生は「原、江川、清原、桑田」
なしにはありえなかった。 それくらい一人の人間に
大きな影響を与えるものなのである。 自分もいま
中学生を指導する立場上、真似される立場にある場合が
ある。 言葉遣い、身だしなみから立ち居振る舞いまで
気を使わねば! と思う今日この頃である。

次は、いつになるか分かりませんが

「私が見た最高の左腕」

をお送りします!




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